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ベーリング海峡を北に越え、チャクチ海にはいった「みらい」は海洋観測と大気観測を続けつつ、ボーフォート海を目指します。

北極のなにもない海のようにみえますが、ここにも人間の歴史あり、国境ありと、さまざまな見えない線が引かれています。

東シベリアの先住民族、チュクチ族

まずチャクチ海ですが、もともとこの東シベリアに住んでいた先住民族の「チュクチ族」から名前が来ています。

「チュクチ」という名称は「トナカイの豊富な」という意味があり、チュクチ族自身が陸側の部族と、海側でアザラシ猟などで暮らしている海の部族とに二分されていた、その陸側の名前からきているそうです。

チュクチ族はマルセル・モースの「贈与論」にも登場して、文化人類学的なつながりがアメリカの先住インディアンやアジアの先住民族ともあることが指摘されています。あるいは日本のアイヌ民族ともつながりがあるのかもしれませんね。

ボーフォート海

ボーフォートというと、むしろ英語では Beaufort Scale すなわち「ビューフォート風力階級」の方が先に思い出しますが、もとになっているのは同じアイルランドの水路学者フランシス・ボーフォートです。

ボーフォートはさまざまな地域の海図の作成に携わっているだけでなく、惨事に終わったジョン・フランクリン提督の1985年の北極海航海の捜索などにも携わっています。

北極からは離れますが、ボーフォートは南極探検の推進にも携わっていましたし、かのチャールス・ダーウィンが「ビーグル号の探検」で乗った HMS ビーグルの船長の訓練をしていたり、同時代の数々の有名な科学者数学者と交流があったりと興味深い人物です。

海の上に書かれた線

ところで自由に航海できるようにみえる海の上ですが、昨今日本近海でも話題が多いことからも分かる通り、領海という線がちゃんと引かれています。

「みらい」の場合、アメリカの水域での航海を申請していますので、チャクチ海の西半分、あるいはウランゲリ島の近くはロシアの領海で、入ることはできません。

ボーフォート海の東では、実はアメリカとカナダの領海にも二国間で見解の相違があるらしく、自由なようでいて、ちゃんと守るべき一線があるのです。

近い将来、夏の北極海は温暖化の影響もあって氷が縮小し、フランクリン提督の頃は危険だった北西航路も安全に航行できるようになるかもしれません。すると、この北極海はにわかに経済的な意味も、政治的な意味も高まる重要な海となるのです。

私たち科学者はただ自然現象を観測していますが、その先には、変化する北極に我々の社会がどう対応するかというさらに大きな問題が横たわっているのです。